~私にとっての「復職支援・両立支援」の原点~
独)大阪産業保健総合支援センター 鈴木純子
筆者の30数年間の産業保健師としての活動の中で、「復職支援・両立支援」と言われて最初に浮かぶ、復職支援の事例についてお話させていただきます。
まだ「治療と仕事の両立支援」という言葉の生まれる前の話です。病気休職していたある社員の復職可能の診断書が人事に届き、人事から健康支援部門に復職可否の判断の依頼がありました。診断書には病名と復職可能日の記載だけあり状況確認が必要でした。そこで、主治医に伺った結果、対症療法のみを行っている厳しい状態であるが、本人が復職を強く希望しているので可能であれば復職を検討して下さいとのことでした。
産業医、所属長、人事、そして保健師が集まって事前に打ち合わせをし、復職の場合に準備すべき事、課題等を洗い出しました。そして、職場、人事労務とも対応していきましょうとまとまりました。
状況を確認するため、本人と奥様を交えて、面談をしました。実際には公共機関での通勤に不安を覚える体調でしたが、本人と家族の納得いく会社生活を送っていただきたいと考え、「復職に向け通勤を含めた試験出社から始める。」ことになりました。残念ながら、その後再入院となり、試験出社は実現しませんでした。とは言え、奥様からは、復職という希望が持て家族みんなで頑張ろうと思ったとのことでした。支援について考えさせられる経験でした。
当時は「復職支援」や「両立支援」という言葉こそ使っていませんでしたし、企業内での復職支援のマニュアルもありませんでしたが、既に健康管理・健康支援の一環として産業医、産業看護職、上司、人事等が協力して復職や治療と仕事の両立をサポートしていました。「人・物・金」にまだ余裕がある時代でしたので優しい配慮ができたのかもしれません。
企業の中で働く産業保健専門職として復職や両立支援をしていく上で、医療知識だけでなく、重い病気と共に生きる社員(ご家族を含め)本人の「働きたい」という強い意志の有無、家族の納得、安全配慮義務遵守、職場の理解、合理的配慮、どこで折り合いをつけるか、など考えるべきことが沢山あることを学びました。私にとってこの介入事例がその後の復職支援、両立支援を行う上での原点になっていると思います。
今の世の中、余裕なく人間関係もギスギスし、復職支援の際も、合理化やリスクマネジメントに目が向けられがちですが、本来両立支援はどうあるべきか時々立ち止まって考える時間も必要だと感じています。